一 | 問一 B 問二 A 問三 A 問四 B 問五 A 問六 A 問七 B 問八 A B 問九 A |
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二 | 問一 すべてB 問二 A 問三 A 問四 A 問五 B 問六 B 問七 A |
A…確実に得点したい問題
B…知識や文脈力、論理的思考力で、得点に大きく差がつく問題
C…難易度・処理量から判断して、部分点を拾えれば良しとする問題
今年度の早稲田中学は大問二つの構成となっており、例年通りの出題でした。大問一は、死ぬとはついぞ思っていかなった愛犬の死から、犬と人間との関係に筆者が思いをいたす物語的随筆文(安岡章太郎『愛犬物語』)でした。
大問二は音楽のつくり方に関する論説的随筆文(高木正勝「音楽が生まれる」『新潮』)でした。どちらも理解しやすい内容の随筆文だったと思われます。設問も手がつけられないほどの難問はありませんでした。この場合、きちんとした国語の問題の解き方を身につけているかいないかで大きく差がつきます。感覚で解かないよう気をつけたいところです。
合否を分けた一題で詳しく説明します。
「死というものは…背後から忍びよってくる」という、「死」の性質を正確に説明したものを選びます。正解すべき問いです。
Xは二か所あります。二つ目の「 x の血が騒ぐ」から読みとれたものと思われます。このレベルの語彙力は、早稲田中学を志望する受験生には必要ですので、しっかりと学習しておきましょう。
傍線部の直後の内容を正確に理解したかが問われた問題です。「コンタ自身がどんなにか情けない想いをしているに違いなかった」という表現は、事実を描写したものではなく、あくまで筆者の推測でしかないということです(×→ア、イ、ウ)。論説文や随筆文では、動物には心情がない、もしくは、動物の心情はわからないという視点で書かれるものがほとんどです。このようなことを知識として持っているのも大切です。少し苦戦する受験生が出たのでは、と思われます。
問いにわざわざ「根本的な理由」と書いてあることに対して反応できたかどうかがポイントでした。ひとつ前の段落に「なによりも」という、「根本的」と同意と考えてよい表現があります。したがってこの表現を含む一文が答えとなります。傍線部からそれほど遠くありませんので、見つけやすく正解すべき問いでした。
Yの前の話の展開に注目します。「それでも私は、これでコンタが永遠に帰ってこなくなるだろうとは考えられなかったのだ」という、筆者の心情が書かれたあとに、獣医のOさんからの電話で、コンタが非常にまずい状態であることが告げられます。自分の願望としての思い込みが、他者から、しかも獣医という専門家から否定されたのです。もう現実から目を背け続けるわけにはいきません。話の流れを正確に追っていく王道の問題でした。正解すべき問いです。
筆者にとって詩はどのようなものだと考えられるか、とはっきり文章中に書かれていないので、自分で類推していくしかない、選択肢問題でなければ超難問と言えるレベルの問題です。ただし、解き方は傍線部の前後を読んで考えるというシンプルなものです。傍線部の前の表現「なんとも名づけようのない」と、後の三好達治の詩を真似して書いたものの中に心情表現が直接書かれていないこと、この二つを考慮して答えを選びます。
傍線部に「信頼関係」という言葉があるので、お互いが信じあっているときにする行動に当てはまるものを選びます。イを選ぶ可能性がありますが、これは「大人っぽくなった」ことの例として挙げられたものだと、本文から読み取れます。
「いじましい」(ここでは「意地汚い」という意味)の意味は知らなくとも、「いじらしい」の意味は早稲田中学を志望する受験生なら知っておくべき心情語です。力の弱いものが一生懸命努力している姿を見て、かわいいと、もしくはかわいそうと感じること。けなげと感じることです。
A「素朴」の「朴」と、B「穏やか」は中学校配当の漢字です。正解は厳しいでしょう。C「模様」は小学校配当の漢字ですが、テストで間違えやすいものです。テストで間違えた漢字をしっかり自分のものにする意識を持つことが、早稲田中学の入試でライバルより1点2点と上回れるようになるコツです。頑張りましょう。
音楽づくりにおいて筆者が大切にしていることを答える問いです。筆者の主張をおさえて読んでいければ、「音楽がつくれる・・・といいのではないかと思う。」という表現にぶつかるはずです。正解すべき問いです。
傍線部直前の段落にある「川の音」のたとえ話と、傍線部直後の内容をまとめる問いです。正解すべき問いです。
傍線部の直前、アオバズクの歌声に、筆者がピアノで同じ音を奏でる、するとアオバズクは歌い返す、という内容から答えを考えます。正解すべき問いです。
Yを含む段落内の内容理解の問題です。例の部分を削っていけば、おのずと筆者の思いが見えてきます。また、Yの前後の「素直に~と思っている」と、直後の一文の述語「ほんとうに美しいと思う。」が同様の表現だと気付けば、答えは想定できます。ただし、選択肢の区別がややしづらいものだったと思われます。
解答欄の直前直後の表現がヒントになります。「みんなで歌っている」、「作業唄」、「響きは」、「である」の本文中での表現を探します。そうすると、答えは傍線部の直後をまとめればよいことがわかります。難しいのは、本文の表現そのままでは字数をオーバーしてしまうので、自分で言い換えを考えなければいけない点です。それでも、空欄や完全な不正解はあり得ない、部分点は確実にとるべきレベルの記述問題であったと思われます。
文末が終止形になっていない(連用中止法と言います)、つまり、文がしっかりと終わっていないことから、余韻が生まれてくるという表現上の特徴があります。詩で学んだことがいかされる問題でした。また、他の選択肢との比較からも答えが選べる問いでした。正解すべき問いです。
今回は大問一の問一を、合否を分けた一題として取り上げたいと思います。
この問題は、早稲田中学特有の、少ない字数の記述問題です。
問題 傍線部1「二月十七日、東京ではことし初めて雪らしい雪がふった」とありますが、この日の雪を通して、「私」は最終的にどのような認識にいたりましたか。文章Aを読み、解答欄に合うように、二十五字以上三十字以内で答えなさい。
【解答欄】
「私」にとって という認識。
解き方の手順
国語では最初に「問いで何を聞かれているのか」「何を答えるのか」を確かめましょう。今回は「認識」という言葉の意味も考えなくてはなりません。まず、「この日の雪を通して、『私』は最終的にどのような認識にいたりましたか。」の部分から見ていきます。
まず注目すべきは、「最終的に~にいたった」です。「最終的に」は「結果として」や「結論として」などと言い換えられます。「いたった」は「たどり着いた」や「到達した」などに言い換えられます。これらのことから、筆者の認識が固まった部分に答えがある、逆の言い方をすると、傍線部の近くに答えはないと想定できます。
次に注目すべきは、「この日の雪の日」の部分です。「雪の日」に関して筆者の考えが書かれている部分、もっと単刀直入に言ってしまえば、「雪の日」という表現が出てくる場所を探す必要があるということがわかります。
これら以外にも、記述する上でのヒントが設問内にあります。絶対に見逃してはならないのが、「文章Aを読み」です。「文章B」に、答えに使いたくなる表現があるのですが、それを使ってしまうと設問の条件に合わなくなるので要注意です。あくまでも「文章A」から考えます。
以上をふまえて回答の要素を探しに行きます。
「雪の日」という表現を追っていくと、文章Aの最後の段落にありました。
「きょうの雪のふる庭を見ているうちに、なぜかコンタの死が実感としてやってきた」、「雪…降り積もっていくのを眺めていると、…年老いたコンタの死んだことがハッキリとわかってきた」。
ここから、雪から認識にいたったものが「コンタの死」であることがわかります。これを解答欄に合うよう、「~という認識」につながるように手直しをします。
次に解答欄の「私にとって~」に続く表現を考えるのですが、この答えを考えるヒントに、今確認した「認識」の内容、つまり「コンタ」が役立ちます。「『私』にとってコンタはどのような存在だったのか?」これを文章Aから読み取るのです。すると、
「しかし、なぜか私はコンタに死期がくるということが信じられなかった」
「げんに自分の傍で生きているものが、ある日、ぽっくり死んでしまうなどということは、到底有り得べからざることのように思われたのだ」
「それでも私は、これでコンタが永遠に帰ってこなくなるだろうとは考えられなかったのだ」
「しかし、Oさんは名医である。ことによったら、という気持は、まだ私のなかでつづいていた」
「あれから一と月、私はまだコンタの死んだのが本当のことだと思えない」
というように、コンタが死ぬとはゆめにも思っていなかった、ということが何度も出てきます。
この内容を使い、対比の形で答えを書くと良いでしょう。
また、文章Aからはコンタへの愛情も読み取れますので、この要素を入れてもよいと思います。
解答例
(「私」にとって)永遠に死ぬことはないと思っていた愛すべきコンタが本当に死んだ(という認識。)