[1] | 問1 A 問2 A 問3 A 問4 A 問5 B 問6(カ)A (キ)A 問7 A 問8 A |
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[2] | 問1 A 問2 A 問3 A 問4 A 問5 A 問6 A 問7 A 問8 B 問9 A |
[3] | 問1 B 問2 A 問3 A 問4 A 問5 B 問6 B 問7 A 問8 B |
A…豊島岡女子学園中合格を目指すなら必ず得点したい問題
B…やや難しく差がつく問題
C…難問
本年も例年通り、歴史、地理、公民から大問が一題ずつの出題でした。今年度の難易度は、Cランクの難問はなく、すべてAランクかBランクのレベルで、どちらかというと易しめの出題でした。歴史では選択肢に紛らわしいものがあったりします。地理では統計資料の読み取りや白地図の読み取りが要注意です。記述問題は20字程度の短いものでした。ポイントを要領よくまとめられるよう日頃から練習しておきましょう。
法案(法律案)を国会に提出できるのは内閣と国会議員。法案の再可決には衆議院の出席議員の3分2以上の賛成が必要。予算案の作成は内閣のみ。
違憲立法審査権はすべての裁判所にあります。国民審査の対象は最高裁判所裁判官のみ。
憲法14条:すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
隣接する選挙区を都道府県を越えてひとつにすることを「合区」といいます。これまで参議院の選挙区は都道府県単位でしたが、戦後はじめてそれが見直されました。
内閣が国会に対して連帯して責任を負うことを議院内閣制といいます。輔弼とは天皇の政治を助けること。
第1回衆議院議員総選挙(1890年)の選挙権は直接国税15円以上を納める満25歳以上の男子。第二次世界大戦後の1945年に、満20以上の男女に改正。2015年、選挙権は18歳以上の男女に改正されました。
国会が国民に憲法改正を提案することを憲法改正の発議といいます。憲法改正の発議には各議院の総議員の3分の2以上の賛成が必要。
参議院の選挙の投票率は衆議院より低い傾向があります。
弥生時代に金属器が使われ始めました。青銅器は祭りに、鉄器は武器に使用。
シルクロード(絹の道)は唐とローマ帝国を結ぶ通商路。遣唐使はシルクロード経由のめずらしい文物を日本に持ち帰りました。奈良の東大寺の正倉院は「シルクロードの終着駅」と呼ばれます。
645年=大化元年。「大化」は日本の年号のはじまりです。
富本銭は飛鳥時代。公地公民の制は改新の詔(646年)の中で示されました。国分寺は741年、聖武天皇のとき。空海は真言宗。
寝殿造は平安時代の貴族の住居。武士の住居は武家造で鎌倉時代。
運慶は鎌倉時代の仏師。弟子の快慶とともに金剛力士像を作りました。東洲斎写楽は江戸時代の浮世絵師。歌舞伎の役者の浮世絵を描きました。
生類憐みの令は、1687年、5代将軍徳川綱吉が出した極端な動物愛護の法令。
1858年、日米修好通商条約を結んだアメリカは1861~1865年は南北戦争でアジアへの進出が遅れました。幕末から明治初期の横浜での最大の貿易相手はイギリス。
1918年、原敬内閣は本格的な政党内閣。1925年、治安維持法成立。
東京、大阪など大都市は地下鉄などの公共交通機関が発達しているので、自動車を持たなくても生活できます。
円高とは円の価値が高くなることです。1ドルと交換するとき、以前は120円必要でしたが、円高になると110円で1ドルと交換できます。
現地生産などで国内産業がふるわなくなることを産業の空洞化といいます。
一汁三菜とは汁物1つにおかずが3つという和食の典型的な献立。
日本なしの旬は8~9月(4)。いちごは12~4月(2)。みかんは10~1月(1)。柿は10~11月(5)。メロンは初夏(3)。
⇒合否を分けた一題参照。
漆器は1の鎌倉彫。南部鉄器の鉄瓶の製法にも漆が使用されるの5も正解。
遠方に見える高い山は藻琴山。
下線部(カ)について、1945年までは日本にも航空機メーカーがありましたが、戦後間もなく、GHQの命令によって日本での航空機の製造は禁止されました。それはなぜですか、当時の状況をふまえて理由を20字以内で答えなさい。
([3]問6)
注 下線部(カ)・・・国産ジェット機の製造が進んでいます。
下線部(カ)は三菱重工などが開発したMRJという80~90人乗りの小型ジェット機。戦前、三菱は零式艦上戦闘機、通称「ゼロ戦」を製造していました。設問にあるように、日本には1945年以前、三菱のような航空機メーカーがいくつかあり、陸・海軍機を生産していました。なかでも、三菱(のちに中島飛行機でもライセンス生産)の「ゼロ戦」は長大な航続距離と旋回性能で太平洋戦争初期に連合国から恐れられていました。1945年、GHQは日本が航空機を生産することを禁止したのは、ゼロ戦のような軍用機の生産が再び行われないようにするためでした。