桜蔭中は、全国でもトップクラスの女子最難関校である。だから、受験者も各塾のトップクラスの生徒ばかりである。
2月1日の入試会場では、各塾のお偉方が勢ぞろいして受験者を激励している。そればかりではなく、関西方面からも受験者が来る(H学園、N学園など)。
例年、マスコミもその様子を取材していて、今年度はテレビ東京の番組で放映されていた。
さらに、合格発表時には日テレや日経なども合格者に取材していた。(実は、私もその場にいたのだが、その記者やアナウンサーの取材に対する執念はさすがだった。その記者に私の教え子が取材されていて、後日、日経の雑誌に載っていた)。
このような女子校の注目度ナンバー1の学校を受験するのだから、まず怖気づかないことが大切である。つまり、自信をつけること。
それには、日々の積み重ねしかない。努力するのは当たり前。
学問に王道なし。地道に、一つ一つの問題をしっかり考えて理解を深め、それを自分の力で実践していく。この思考訓練を積み重ねていけば、必ず学力は身に付く。
桜蔭中の入試問題は、文章の要点は何? 傍線部の意味は?この文章の主人公の言動から読み取れる心情は?中心人物は何を学んだの?設問文ではどのような解答を望んでいるの?など国語の入試問題においてはポピュラーな問題ばかりだ。
しかし、これらの問題は、決して感覚で解けるレベルの問題ではない。
あくまで文章や設問に書かれていることを、ある言葉を手掛かりに、筋道を立てて考えるでしか、解答を導くことができない。
つまり桜蔭中は、受験者に論理的思考力があるかどうかを様々な角度から確かめようとしているのである。そして、この論理的思考力は、先程のべたように、なぜそのような解答になるのか?どうすれば、その解答を導くことができるのかを繰り返すことによって身に付くものである。
だから、桜蔭中の国語は、演習問題をただひたすら解いたり、受験テクニックを身につけるなどの小手先の学習では歯がたたない。
なぜそのような解答になるのか?どうすれば、その解答を導くことができるのか、設問者の意図は何か、常にこれらのことを意識して、文字通り、問題と格闘していく姿勢が大事。極端な話、演習量は6年の夏あたりから増やせばいい。それまでは、文章の言葉を手掛かりに、しっかり考えていく。そんな学習体験を増やしていくことが重要なのである。
桜蔭中に合格するためには、国語の先生と対話を繰り返しながら、思考訓練を地道に繰り返し、思考を深めていく。そのような体験を積み重ねていくしかないのである。もちろん、国語の先生が国語の入試問題をしっかりと論理的に導いてあげることが前提だが。
したがって大手塾に言われるままに膨大な学習量をただひたすらこなし、難問ばかり解いて解説を一方的に聞いて理解するような、受け身的な学習では合格できない。
また、たとえ合格したとしても、このような学習体験をしてきた生徒は入学した後に伸び悩み、しまいには勉強することをやめてしまうだろう。
なぜなら、学ぶ面白さを体験してないからだ。思考を深めることは、自分の知らない世界を見せてくれる。自分の知らない世界を知る喜びを味わうことが出来るのだ。
そのような体験をすれば、学ぶことが苦痛ではなくなるし、勉強することが当たり前になる。そしてそれを続けていけば、やがて物事の見方が変わってくるし、物事の本質がわかるようになってくる。(桜蔭中、高の卒業生に研究職や医者を志す人が多いのも、その影響かもしれない。)
つまり学習すればするほど、自分がいかに無知であるかを実感するとともに、物事の奥深さを知り、学ぶことを追求したくなるのだ。
別にこれは、机上の学問だけに限らない。漫画やアニメ、文学や芸術、スポーツなどに夢中な桜蔭生も多い。(私の教え子の一人は、男子漫画同好会を立ち上げてしまったらしい。今はどうなっているかわからないが。)
このような生徒が多いのは、さきほどの思考体験による喜びを大なり小なり体験しているからであろう。
だから、受身的な学習は今すぐ止めよう。
大手塾の授業についていくという受け身的な発想もやめよう。
画一的な授業で、個々の思考レベルを伸ばすことはできない。なぜなら、個々の問題への理解度は、得て不得手によって変わってくるし、それこそ千差万別だからである。