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社会の合否を分けた一題

麻布中入試対策・社会の合否を分けた一題(2010年度)

総評

例年、非常に長い大問が1題のみで、説問数は11~13問です。制限時間は50分ありますが、リード文(導入文)が4ページ以上と非常に長く、また、記述問題も多数解かなければならないので時間配分に気をつける必要があります。

大問は、地理、歴史、公民、時事問題のユニークな総合問題です。本年は、旅行の移り変わりを題材とした総合問題でした。

問1 穴埋問題 D:易しい
問2 記述問題 C:標準
問3 記述問題 B:やや難しい(資料の読み取り)
問4 記号選択 C:標準
問5 記号選択 D:易しい
問6 記述問題 C:標準
問7 記述問題 B:やや難しい
問8(1) 穴埋問題 A:難しい
問8(2) 記述問題 C:標準(資料の読み取り)
問9 記述問題 C:標準
問10 記述問題 B:やや難しい
問11 記述問題 B:やや難しい
問12 記述問題 B:やや難しい
問13 記述問題 A:難しい

問題

明治時代になると、旅行をめぐる事情には大きく変化がおこります。外国から観光客がやってきて日本が見られる側に立ったのです。1869(明治2)年、地中海とインド洋をつなぐスエズ運河が開かれ、北アメリカ大陸に大陸横断鉄道が開通します。これによってヨーロッパの貴族やお金持ちの間では世界一周旅行が流行するようになります。明治維新直後の日本はこの観光コースに加えられます。明治政府は見られる立場を強く意識してその対策に苦心します。この当時、日本は外国人観光客を受け入れる側、見られる側にいたのです。それが20世紀に入ると、観光する側、見る側にまわる機会が生まれてきます。それは海外に植民地をもったことをきっかけにしています。

問6 下線部オについて。政府が「見られる立場」を意識した背景には、当時の日本が抱えていた問題がありました。政府は外国人からどのように見られれば、何の問題が解決できると考えましたか、説明しないさい。

解説

まず、当時の日本が抱えていた問題とは何だったのでしょうか。明治政府の最大の外交課題は、幕末に徳川幕府が結んだ不平等条約の改正にありました。そのため、鹿鳴館のような極端な欧化政策を取り、日本が欧米諸国のように近代化した文明国であることを見せて、不平等条約の改正をしようとしたのでした。

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